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日記 (2021/06/24)

今日は仕事が休みだった母と一緒に買い物に行ったり、今日サービスが開始されたばかりのスマホゲーム「IDOLY PRIDE」をプレイしたり、「生の短さについて」の続きを読んだりして過ごした。

IDOLY PRIDE をプレイしはじめた

IDOLY PRIDE はアイドル育成ゲームで、地道にアイドルの各パラメータを伸ばしてライブの曲にあわせて編成を調整したりする。ひとつひとつのライブの成功やアイドルグループ全体の順位の向上が目標になっている。ゲームシステムが細かな部分まで丁寧に作り込まれていて、担当アイドルとの不定期のコミュニケーションなどもあるので、プロデューサーとして彼女たちを育てて上げたいという気持ちにさせてくれる。かなり愛着のわく作業ゲームだなぁと思った。一時期デレステにハマっていたが、久しぶりのスマホゲームとしてこれにどっぷりハマるかもしれない。

「生の短さについて」要約

第7章 後半

しかし自分の生の多くの時間を奪い取られる者が、生が不足していると自覚するのは当然のことではないか? 君を招きよせ忙殺させている者は皆、いわば君を君自身から拐かしている。 自分のために残せた時間はごくわずかで使いものにならない。 誰もが今の地位・仕事に倦怠感を覚えて、生を先へ先へと急がせ、未来への憧れにあくせくする。 それに対して、一日一日を最後の日であるように管理する者は、明日を待ち望むことも恐れることもない。 彼らにとって、未来は大体が既知のものであり、それ以外は時の運に決めさせればよくて、その生には付加できるものはあっても取り去れるものはない。 それゆえに、見かけ上は老いているようでも、それは長くいただけのことであって、長生きしたとは言えない場合がある。

第8章

物に比べて時間は軽々しく要求・貸与されがちである。 時間は何よりも貴重なものであるのにそんな考え違いをしてしまうのは、時間に形がなくてほとんど無価値なものに思えてしまうからだ。 湯水のように時間を使っておいて、 死が近づくと急に命が惜しくなるという情緒は首尾一貫していない。 自分の生に残された時間がわからないからこそ、時間は注意深く大切に扱わなければならない。 もちろん時間の大切さを一切理解していないというわけではないだろう。 愛している人に対して「自分の時間を捧げる」と言うものだが、 捧げものとはいえ、自分の時間は減っても相手の時間は増えない。 このことを自覚できていないのである。 人の生は出発点となった日から一直線に駆け行く。 そのため、君が何かに忙殺されていればそのうち死が訪れ、その死とともに永久に安らわなければならなくなる。

第9章

人は生を犠牲にして生を築こうとする。 あれこれ未来について思いを馳せる。 これこそ最大の浪費であり、 明日という時に依存して今日という時を無にする。 どこを目指しているのか? 不確実な先々の事を気にするのはやめ、ただちに生きるべきだ。 何かに忙殺されるような稚拙な精神だと、何の備えもないまま老年に襲われる。 矢のように過ぎ行く生の時間の終着点は、 こういう者の前には最後になって急に現れる。

第10章も読んだが時間がないので明日の日記で要約を載せることにする。